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シノサキ、その先

シノサキの日記のようなもの。

思し召す、ビール。

どうも、こんばんは。死の先もとい、シノサキです。
(ワケあって会社のPCで打ち込んでいるため、またもや誤変換が起きました)

 

そのワケですが。


今日はいつもよりちょっと仕事が遅くなってしまって、早く帰って寝よう、と。

 

しかし帰り道、乗り換える電車が運転見合わせしていることを知らず。
いつもなら乗り換えの電車で、だいたいトレインビジョン見ているんですが。今日に限って見ていなかった。

 

電車の「トレインビジョン」、ついつい見てしまいませんか。

 

毎日電車で見てて、何度も同じ映像見ているのに、見てしまう。なんか悔しい。

ーーーー

ついつい目がいく
三菱電機の技術です!

ーーー

って感じだったか。

トレインビジョンのCMが来たときに自分がトレインビジョン見ていると、より悔しい。

 

デジタルサイネージ、おそろし。

 

あと個人的には、「ナブテスコって何ですこ?」が気になります。
「うごかす、とめる」はわかったから、もう少し具体的な話をやってくれと。もう、検索したら負けだなぁと思っています。意固地。

 


なんてことは、どうでもよくて。


不運なことに最寄駅へ向かう電車が人身事故で運転見合せである、と。

 

帰宅の時間帯に事故あると、立ち往生する人の数がすごい。
東京は本当に公共交通機関がとても大事ですね。普段ですら混雑しているのに、駅のホームが人でごったがえしていて。電車ってすんごい多くの人間を運搬しているのですね、と気づきます。

 

少し待っていれば復旧しそうだったので、待つような気持ちで、とりあえず改札内のそばを食べました。


しかし電車は動きません。

 

途中で気づけば、別な線を利用して帰ることもできましたけど。さすがに引き返して乗り換えるのも面倒。
今日に限ってトレインビジョンが目につかなかったのが残念です。

 

人が多いのが嫌なので、運転再開すぐに帰るのは諦めました。


しかし、どうしたものか。

 

すると神の声が。

「ビールを飲んでいきなさい」

…と。


こ、これは。

神の思し召しだったのだと気づきました。

 

ちょうど今日は微妙にひと仕事終えた感があって、だからこそ家でゆっくりしようと思っていたのですが。
神様の言うことなら仕方ありません、ビールを飲んでいくことになりました。

 

たまに行くバー的なところは駅からちょっと遠いので、近くの程よいお店へ。
というかキリンシティーです。ビールが飲めれば満足なのでうるさ過ぎなければどこでもよく。

 

そんで、会社のMacBook Airをちょうど持って来ていたので、ビールをのみつつカタカタと。


ちょっと1杯、のつもりでしたが1杯で済むはずがなく…。

2杯目のハイネケンを飲んでおります。

 

 f:id:shinosaki:20170523223814j:image

 

明日もやりたいことがあるのでちょっと早起きするつもりでしたが、まぁ、たまにはこういうのも良いものですね。

 

人身事故はストレスが原因かもしれず、それがさらにたくさんの人のストレスを呼びますが。
僕は勝手にストレス発散しています。

 

神の思し召しに感謝。
いえ、別に人身事故を悪く言うつもりはありませんけども。実際何が起きたかは知りませんし。

 

変なところでポジティブなシノサキでした。

ずいぶんご無沙汰しておりますが

どうも、お久しぶりです。シノサキです。

 

最近(といっても3月くらいのこと)PCをiMacに変えまして。ちょいと古いモデルを中古で安く購入しました。

今まで旧世代のヘビーなWindowsノートを使っていたので、とても良いです。

 

旧マシンは8年目だったから、もう火を吹きそうなくらい熱くなって、熱でしょっちゅう落ちるという…

そんなものをしばらく使っていたので、Macはとても快適で良いです。Macだから良いというよりは、とりあえず新調できたので。

 

職場でMacをちょっと使っていて良いなぁと思い、Macに。お金があったらもっと新しいモデルを買うところですが、あいにくそんな余分なお金などなく。

しかし旧マシンは今にも燃え尽きそうだったので、買えるものを買った次第です。

 

このPCでブログを書くのは初。

前回更新の「おっさん 激突」の話はしばらーーーく前にスマホで書き始めたものを、放置に放置を繰り返し、ようやく数日前に書き終えてアップしたのでした。

 

だから気持ち的には、かなりかなり久しぶりの更新という気持ちです。

 

最初は意気込んで始めたブログですが、続けるってことはやはり難しいものですね。

もはやそんな、ちょくちょく更新していきますと意気込んで有言不実行になると困るので、そういうことは言いません。気が向いたときにやっていきます。

 

それでまたなんとなく、またブログ書こう。

と思って、おニューのPCでカタカタと打ち込み始めてたというわけです。大したものは書けませんけどもね。書くのは好きなんです。

 

 

それでだ。

久しぶりにだから、よーし。と思いつつ

 

>どうも、お久しぶりです。シノサキです。

 

とご挨拶をしたところ、変換が。

 

「しのさき」→「死の先」

 

……ちょっと待ってくれよ、Macさん。

更新がないからといって、いったん死んだわけではないのですよ。

【おっさん】激突してくるおっさんについて考えてみた!

どうも、こんにちは。

電車通勤が嫌いなシノサキです。


今日はちょっと、気になることがあって本気出して考えてみました。幸せについて、じゃないですよ。むしろ、どちらかというと不幸せについて。

 

まぁ、タイトルにある通りですが。
「おっさんはなぜ激突してくるのか?」
ということです。

 

いえいえ、決して悪口とかじゃないんです。
単純な疑問なんです。

 

小さい子が言うところの「赤ちゃんはどこから来るの?」という質問くらい素朴なもんです。
どうにも一言ではお答えできないような深い深い訳がそこにはあるのかもしれません。


深い事情があるにしても「大人になったらわかるよ(意味深)」くらい意外にシンプルなことで、「おっさんになったらわかるよ(疲労感)」的なものなのかもしれません。

 

僕が変な推測をすることで気分を害される方(おっさん)がいたら、すみません。その時はぜひに深い深い訳を教えてほしいです。
だって僕もいつかおっさんになるんだもの。


いえ、最近お腹の贅肉がちょっと気にならないでもなくて、もはやおっさん街道まっしぐらなのかもしれません。

 

しかし僕は世間的に見たらもうただのペーペーの若僧で、でも素敵なかっこいいおっさんは世の中にたくさんいて。優しいおっさんもたくさんいて。

僕はできれば将来そんなおっさんになれればなぁと思っています。

 

ですので、何事にも体当たりすぎるおっさんに秘められたその謎を開示していただきたいのです、はい。

 

そんな悪口は置いといて。
ってあれ、悪口じゃん。

 

僕はかなりの田舎育ちなので、子どもの頃は電車なんてあまり乗ったことがなくて。


そもそも近くに電車が走ってない。ど田舎は完全なる車社会です。

新幹線なら、遠出する時に乗せてもらったこともあるけれど、まぁ年に一度も乗らないです。

 

高校の時は少し遠くの学校に通ってたので、途中で電車にも乗っていましたが。そんなにアホみたいに混むこともない電車です。


そんなんですから、大学で東京に出てくる時には「トウキョの満員電車はどんなもんだべ」と。


電車モッシュに心を弾ませて僕は東京にやってきたわけです。もちろん楽しそうだとは思ってませんが。負けんぞ、と。

しかし東京といえども、沿線や時間によってはそこまでの混雑ではないこともあります。


あんまり満員電車には巻き込まれないように頑張ってきたのですが、まぁそんな高貴な生活ができるはずもなく。


かろうじて超ピークの時間帯や激混み区間からは外れていますが。
たまにそういう寿司詰め電車に乗らなければいけないタイミングや、電車の遅延で大変なモッシュに巻き込まれることもあります。メタル好きでも大変。

 

電車ってもう、都会の人々のストレスを集めて鉄の塊の中に押し固めて走ってる乗り物だと思うのです。


たまにストレスは線路にこぼれ落ちて、破壊されて。
内部では行き場のなくなったストレスが女性のお尻に伸びるのかもしれない。
もうみんな必死。人間なんて心の弱い生き物だと思うのです。

 

でも痴漢はダメ、ゼッタイ。男の僕としては冤罪のほうも社会的に怖いところですが、from man/to man的な痴漢被害のほうがよっぽど怖いです、貞操的に。心に深い傷を負うので勘弁してください。それなら体当たり系おっさんのほうがましです。

 

電車の車内って狭いものです。
ホームや駅構内も人がたくさんいたら特に狭いです。


意図せず体や荷物がなかなか激しくぶつかることもありますし、靴を踏んでしまうこともあります。


駅だけじゃなくても、いろんな場所でそういうタイミングはあります。
お互い様なので多少ならしょうがないし、故意じゃないので、すみませんくらい言える時は言ったり、ぺこりとします。

 

もちろん迷惑はかけたくないので、もう細心の注意を。

 

多少混んだ電車から降りる時、人と激しく接触しないようにそろりそろりと移動していたら、直前でドアが閉まるなんてこともありました。
次の駅で反対ホームに渡る時のやり切れなさときたら。

 

そんな一方で、座ってるところから駅に着いた途端、人をかき分け激突しながら電車の外へ抜け出すおっさんもいるわけです。そして空いた席にはおばちゃんのお尻が我先にと滑り込む。

 

まぁそれはよいのです。電車は混んでることが多いし、だいたい背後からの衝撃だから、ぶつかった本人の予想以上にダメージがあるのもわかります。

 

人間って背中にダメージ受けると、なんか悪意ある攻撃に感じてしまうものだと。かかと踏まれるのも似た感じ。

なんだコンニャローってなる。振り返ってしまいます。

 

電車で立ってて、人が背後を通る時にはけっこう前のめりにして邪魔にならないように気をつけてるつもりです。バッグももちろん前側に持つし。

 

それでも、多少混み合ってる車内で激突されることは多くて、なんだコンニャローという気分で(あくまでも気分。実際はそこまで思ってなくて、なんだ?くらい)振り返ると、たいていズンズン歩いているおっさんがいます。

 

もはや悟らざるをえません。おっさんは激突してくる生き物であると。

 

だってあんまり混んでない時も激突されますし。人の多い駅構内なんかでも、てめぇが退けろと言わんばかりに歩いてきますし。


モーゼでも目指しているのでしょうか。

 

しかし問題は、何故激突してくるか。

 

僕が考えるところの最有力説は、「人類おっさん化計画」が実行されているのではないかと。

世の中の人間をみんなおっさんにしてしまおうという、何者かによる陰謀が。

 

あれはきっと仲間を増やす行為で。鬼ごっこみたいなもの。おっさんにぶつかられると、おっさんになってしまうんです。恐ろしい…
挟まれたオセロが裏返るような、そういう感覚。

 

近年の、おっさん可愛い、みたいな思想もどこから発生したものかわからず、知らず知らずのうちにマインドコントロールされているのかもしれません。

 

ぶつかられることによって生まれるストレスが積もりに積もると、人はいつのまにかおっさんに変化してしまうのでしょう。


苦労してるんです、みんなきっと。

 

 

 

……なんてことを考えてしまうほどに。

マナーには注意したいものですね。僕もおっさん予備軍なので。

 

 

ご利益、一口一円也。

どうも、あけましておめでとうございます。シノサキです。

昨年はあまりお世話になれませんでしたので、今年こそは。よろしくお願いします。

 

三ヶ日もあっというまに終わってしまって、今日から通常運転。日常の再開。

まだお休みの人も多いようです。今朝は電車がとても空いていました。ありがたい。

 

かなり私事ですが、年末はひどい風邪をひいて寝込んでいたので、知らぬ間に年末年始に突入してしまいました。

こんなに熱が引かないことは今までなかった、っていうくらい熱で寝込んでいました。まぁ寝込んだといっても、さっぱり動けなくなるような体質ではないので、ごろごろとアニメなんかを見ていました。

 

そんなこんなで、まだ熱が収まらぬままに2016年は終え、元旦あたりにようやく熱が下がって。

厄年が最後の最後に来たのでしょうか。なかなかにひどい年越しで。実家のご馳走も食べ損ねて残念です。

 

2日は、ちょっとコンビニまで出かけたついでに近くのお寺へ立ち寄りました。

初詣なんてそんなたいそうなものじゃありません。近くにちょっと名の知れたお寺があったから、というだけで。

 

お寺か神社かも特に関係なくて。有名といっても、参拝客で溢れるほどではないですし。人いっぱいだったらそもそも寄らないです。

コンビニで、大して興味もないけど雑誌コーナーの前に立ってみる、くらいのついでです。

 

お賽銭箱の前で財布を開きました。

小銭は500円、100円、50円、1円が2枚。

なんと、5円がないじゃないですか。

 

お賽銭は5円と相場が決まってる。

1円じゃ心もとないし、かといってケチな僕としては神頼みなんかにあまりお金を出したくない。

日頃あまり現金を使わない生活をしているので、あいにく小銭は意外に少ないのでした。

 

5円の上位互換的な側面がありそうな50円にすべきか、5の仲間なのに穴の開いていない謎の500円様…はちょっと惜しい。

縁起や金額の意味なんて関係ないのです。ただの自己満足なので。

でもどうせ50円以上出すなら、せっかくだし100円くらい出しておくか。多いほうがご利益大きそうだし、と。

 

お賽銭なんて気持ち、だけど少なすぎるのも、とか、多いほうが、なんて思ってしまうこともあるんじゃないでしょうか。人間だもの…。

少なくとも僕は、思います。一口一円、地獄の沙汰も金次第。

大金持ちならお金ではなく「徳」を積むべしというところでも、金なしの僕は、金を払って「得」をくれと。お金でなんとかなって欲しい気持ちもあるし。

 

そんなわけで、100円を投げてきました。

「 今年は100円払ったんだから、いつもより100倍良い年に」

 

と、早速に雑念を募らせて参りました。

 

せっかく年末に鐘ついて祓われたのに。

今年は、例年行かない年始のお参りなんて行ってそんなこと考えたものだから、去年より煩悩は少なくともひとつ多いのです。今年の年末はきっと、どうにも108回じゃ足りない。

 

でも、ちょっと待って、例年お賽銭0円0口ということは。

今年100倍良い年になったって、0×100=0ってこと。もう未来永劫、僕のご利益査定は0円のままかもしれない。

 

これが日頃の行いってやつか。

 

 

「朝コンビ」とはなんぞや。

どうも、こんにちは。シノサキです。

 

僕は手帳を持っていて、日記や家計簿なんかをつけています。という話は、たしか以前しましたが。

毎日は書いてなくても、毎ページ何かしら書いています。何日か空いたら、書いた当日の日付つきで、3日前のことを書いたりしています。

 

毎日決まって書くことが、その日に使ったお金の出費リスト。それと、いつもと違う予定があった日ならその用事を。

基本的に大した用事がない人間なので、たまにしかないんですが。「布団 粗大ゴミ」とか、どうでもいいことを書いてます。

 

そして出費リストは「松屋 520」といった具合です。

はい、プレミアム牛めし大盛です。ちなみに一時期は熱狂的な松屋ユーザーでした。まつらーでした。

 

家計簿アプリ「Money Forward」も使っているのですが、そちらを見ながら一つ一つ転記するという二度手間のようなことを日々やっております。

アプリのほうはお金の管理、家計簿としての役割ですが、手帳のほうはまぁ、備忘録という感じで。

けっこうアナログ信者的な側面もあるので、データで済ませるよりも紙媒体に残すということに、ちょっとした満足感を味わったりもします。今日はよくお金使ったなぁ、みたいなことを思いつつ。

 

検索はできないけれど、ダイレクトにアクセスできるのって、アナログの良いところだと思います。ペラペラ手帳をめくれば簡単に照会できます。読み込まないとか、そういうトラブルもないですし。

まぁ、手帳を見返すことってめったにないんですが。アナログはアナログでいいよなーっていう、そういう話です。

 

手帳にものを書くとき、できるだけ詳細な情報を、簡潔に書くよう心がけます。

(もしも)あとで見たとしても、どういうお金の使い方をしたかわかるように。それとスペースも限られてますし。

略しつつ、しっかり書きます。

 

例えば、「朝コンビ」。

まぁこれならなんとなくわかりそうですが。「朝コン」の時もあって。そのさじ加減は気分によってとか、狭いスペースに書いてるのでその余白によって。

 

「朝コン」っていうと、合コン、街コン的なやつみたい。朝活の一部?

みたいな感じですが、「朝コンビ」「朝コン」は、「朝食コンビニ」というわけです。 出勤前に朝食をコンビニで買っていきました、ということです。

単純に「コンビニ」とか具体的に「朝セブン」とか書くこともあるので、絶対的な決まりになってないのがなんとも。几帳面なのか、粗雑なのか。でも、それも含めてその時の気持ちを書いてるのかなぁという前向きな考えで。

 

とりあえず、できるだけ細かいとこまでわかるような書き方を心がけています。

後で見てもわかるように。

先日も「朝コンビ」と書きながら、ふと思い出すことがあって。

 

僕のおばあさんが謎の言語センスの持ち主で、そういえばコンビニのことを「コンビ」と略してたなぁ、と。

そこまでいったら「コンビニ」でいいんじゃないかと、幼い僕は思っていました。

しかし血は受け継がれるもので。

「コンビ」と言わざるをえない時だってあるじゃないか。

「頭いい」ってなんだ。僕のCPUは。

どうも、ご無沙汰してます。シノサキです。

少し前よりも時間に余裕がある生活をしているはずなのですが、そうするとまた何か他のことをしたりして、結局のところ毎日はやはりすごいスピードで過ぎていくのでした。

 

さて、12月もまもなく真ん中あたりまで来てしまいましたが、この時期になるともうそろそろ年末ムードになってきます。
年末の追い込み、みたいな頑張りをしている人もいるでしょうし、まもなく忘年会シーズンもピークでしょうか。居酒屋は大忙しでしょう。


クリスマスもやってきますし、冷たい空気の中でイルミネーションの小さな光の粒もちろちろと燃えていたり。

今年も終わるなぁと思うと、なんだかため息に似た感情が、はぁと口から漏れてしまうような。


そんな中、ほんのちょっとだけ忙しく仕事をしていたら思うことがありました。

 

「頭がいい」ってなんだろう、と。

 

僕はあまり頭の回転がよくないという自覚があります。
ばしばしと要領よく色々片付けていくのはそんなに得意じゃなくて。仕事のみならず、いろいろ。
逆に、じっくり考えるのはわりと得意だと思っています。どちらかというと、ひとつのことを深めていくほうが向いているというか。

 

とはいえ、よほどの芸術家でもない限り、時間の制約というものはついて回るもので。
ある程度の時間や環境の制約のなかで、ある程度のクオリティは維持しつつ、ぱっぱぱっぱと進めることが必要な場面も多いはず。淡々とこなしていくスタイル。

そういう時に、「頭がいい」ってなんだろう、と思うのでした。


僕はPCでいったら、CPUがしょぼいんだろうな、きっと。

メモリも小さくて。
ついさっきまでやろうとしていたこと忘れるし。それに心配性なのも重なって、6桁の数字を一瞬記憶する時に3桁と3桁に分けてしまうほどだし、一度チェックしたところを何度も見直してしまったりとか。
もはやメモリが通常ならGBのところ、僕はMB単位なんじゃないかと思うことがある。脳の老化テストみたいなのやったら、いったい何歳判定になるんでしょう。

 

だから、ばしばしと小さな判断・決断を繰り返して進めるようなものは苦手。
訓練で多少は変わるだろうけれど、適正はあまりないと思うのです。
昔から算数苦手だったし。理解はできるし、問題は解けてもテストは終わらない。
とても雑な言い方をすれば、つまり基本的に考えるのがのろい、のです。

 

さくさく進めたい時、同じ質だったら速いほうが良いのは間違いない。
少しクオリティが良かったとしても、求められているのがスピードなら、クオリティを重視するのはお門違いというか。
基本的に考え込む質の人間は、そのへんのバランスを取るのが苦手な気がします。
うっかり考え込んでしまうから。


丁寧なのはたいがい悪いことではないけれど、急いでる時にばか真面目にやりすぎるのは良いこととは言えない。

 

僕のCPUはしばしばフリーズしながら、唸りを上げる次第あります。

気づけば12月で。

どうも、ご無沙汰しております。シノサキです。


なんだか一日一日、更新が空いてしまうごとに、よけいにハードルが上がっていくような気がして。


とりあえずで済ませるのも気が引けるし、でも放置すればするほど次の一回に対するプレッシャーが重くなってしまったのでした。

忙しいわけではなかったのですが、心の余裕がないような気持ちで。いつのまにか12月がやってきてしまったのです。今年ももうすぐ終わってしまいますね。

 

秋が深まっていると思っていたら、もう冬です。相変わらず季節の変化に気持ちがついていかない。

 

そんな感じで。
とりあえず、また頑張っていきたいという意気込みの表れ。